メディアコンテンツ研究会―活動報告
本会はサブカルチャー、マイナーカルチャー全般に知的好奇心を持つ人々が集まって、                                   評論・情報系の合同誌『SUB & MINOR』を発行することを目標としています。

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[--/--/-- --:--] スポンサー広告 |

中性的なるものへの欲望〔さへーのコラム6〕
美しさのパターンとはなんだろう。

「女らしい女性」は、その一つだろう。

もちろん「女らしさ」は単一的な価値観ではないが、私たちは個々の基準でそれを感じることができる。

これは「男らしい男性」にも同じことがいえるだろう。

しかし世の中には、「中性的なる」美しさも存在する。

「男らしい女性」と「女らしい男性」である。

両者は前記した二つと同じ、「男らしさ」「女らしさ」を志向しているにも関わらず、それらとは全く違う危うさに美しさを感じる。

メディアコンテンツにおいて、男装の麗人は男性としてでも女性としてでもなく、男装の麗人として美しい。

女性が女性として美しいものと一線を画している。

男の娘も同様である。

中性的なるものを、様々に表現してきたのだ。

手塚治虫作品や初期の少女マンガ作品には、この中性的なるものが多く登場する。

両性具有はその最たる表現であろう。

そして70年代ごろから、女体化という危うい性が登場する。

『らんま1/2』の主人公・らんまは、武骨で硬派な男性だが、女性の時もそのままの性格であるため、端からみれば勝ち気で粗暴な女性に見える。

「男らしい男性」から「男らしい女性」へ、揺らぎ続ける。

また入れ替わりキャラクターたちは、「男らしい女性」と「女らしい男性」であることが多い。

彼らは入れ替わりを経ることで、「男らしい女性」と「女らしい男性」から「男らしい男性」と「女らしい女性」へと転換することになる。

これもまた、異性化する身体という不安定さと、それ故の美しさを描く表現形式である。

「Sub&Minor」2では、特集をこの女体化として取り上げる。

前号の男の娘と合わせてお読みいただきたい。

(文・さへー)
スポンサーサイト
[2011/06/24 21:11] 女体化 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) |

キタ━(゚∀゚)━!!!!!〔さへーのコラム5〕
あらゆる二次創作には原作がある。

時には二次創作は、二次創作物を下地にさらなる創作を行う。

私たちは同人誌やMAD動画を見て、原作キャラの扱われ方に一喜一憂する。

例えば『涼宮ハルヒの憂鬱』の二次創作物を見て、キョンの前にナイフを持った朝倉さんが立っていれば、wktk展開である。

心の中では「キタ━(゚∀゚)━!!!!!」の弾幕が流れている。

……話はそれるが「キタ━(゚∀゚)━!!!!!」は最近見ない。古かったかもしれない。

それはともかく、キャラの登場シーンはわくわくするものだ。

ところで女体化の一種に「戦国もの」がある。

日本の戦国時代や幕末志士、中国の三国時代や水滸伝などを女体化する作品群である。

これらは言わば、歴史の二次創作として捉えることが可能だ。

私たちは『センゴク』で馬場美濃守の登場シーンに「ktkrktkr!!」とのたうち廻るように、「恋姫無双」の朱里の登場に「キタ━(゚∀゚)━!!!!!軍師さまk……え?はわわ?」と楽しむことができる。

このようにお気に入りキャラの登場は、二次創作での一番の楽しみ所といえる。

特に戦国系マンガや、戦国ものの女体化作品では最高の見せ場で、キタ━(゚∀゚)━!!!!!弾幕の打ち所でもあろう。

(文・さへー)
[2011/06/17 00:21] 女体化 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) |

紀元前の濡事師〔角屋玄造のコラム4〕
秦始皇帝とその部下の李信が主人公という珍しいマンガ、「キングダム」。
週刊ヤングジャンプの今売り(6/9発売)号にようやくロウアイが登場した。
『史記』によればロウアイとは始皇帝の実母である淫奔な太后の愛人で、自らの男性器で車輪を回すという特技を持つ巨根の持ち主である。去勢せずに後宮に潜り込んで太后に2人の子供を孕ませ、秦王朝の乗っ取りを計って反乱を企てるも若き日の始皇帝に一族郎党皆殺しにされるという人物である。
昔、歴女(三国系)の後輩が買ったというヌイグルミに皆でロウアイという名前を贈ったところ、後日その名の由来がわかって非常に憤慨されたという微笑ましいエピソードがあるがそれはさておき。

近年、太后とロウアイの関係は純愛として描かれる作品(映画「始皇帝暗殺」等)が多い。

これは二人の仲を引き裂く始皇帝の苛烈さをクローズアップしているのであろうが、「キングダム」のは、ものの見事にオッサンと、作者が一生懸命画いたであろう美貌のマダムの性交そのものであり、『史記』を知らない読者にはインパクト大であったろう。
だいぶ以前に掲載された太后と宰相の呂不偉とのシーンはかなりワンパターンな構図で何週にも亘わたって掲載されたものだったが、今回は2パターンくらい体位が増えて、リアルになりました。(笑)
「濡れ場」の描写は青年マンガ家として技量の問われる難しいところであろうが、当時はうーむ・・・、という感じだった。

自分の中でYJ誌に同時期にデビューした「キングダム」の作者、原秦久と「嘘喰い」の作者、迫稔雄はライバルなのであるが、連載開始から回を重ねるごとに凄い勢いで(「ジョジョ」の荒木飛呂彦も絶賛)画力を増す迫に対し、さほどでもない原という構図は否めない。(小野坂昌也のやっていた集英社公認のインターネットラジオに出演した際には、「僕のマンガは珍しいテーマで売れてますから・・・。」と自嘲気味だった。)いつ「嘘喰い」が性描写を画くのか、と思って固唾を飲んで見守っていたら、先に「キングダム」が「呂不偉イイイィィィ!!」をやってしまったので思わずずっこけてしまったものだった。

現在では、途中から天下一武闘会が始まってしまい字も増えすぎてしまった「嘘喰い」よりも、なんとなく「キングダム」の方がちゃんと目を通す割合が多い気がする。
いつまで経ってもプロゴルファー猿みたいな格好をしていた主人公の李信にもようやく鎧が着せられた。このまま打ち切られる事なく、出来れば胡亥の即位あたりまで画いてもらいたいものである。

(文・角屋玄造)

第12回文学フリマに参加しました
大田区産業プラザで第12回文学フリマが開催されました。
2階小展示ホールのメディアコンテンツ研究会にお立ちよりになった皆さま、ありがとうございました。
ゲームシナリオとか女装コスとかいろいろ話も出来、面白く、また有意義な一日となりました。

『SUB & MINOR』vol.1はこれにて在庫がなくなりました。
これは再版も検討しております。
また決まりましたら、ご報告します。

さて、なにはともあれ、ますますvol.2に力を入れなくてはなりません!
本会はコミックマーケット3日目に参加が決定しました。
次号はその時にイベント初売りをいたします。
よろしくお願いします。
[2011/06/12 23:36] 文学フリマ | TRACKBACK(0) | COMMENT(1) |

明日は第12回文学フリマです
本サークルは、明日、第12回文学フリマに参加します。
ということで、再告知します。

日時と場所は下記の通りです。

日程:2011年 6月12日(日)
会場:大田区産業プラザPiO 大展示ホール・小展示ホール
ブース:エ-16

『SUB & MINOR』2号の刊行は7月下旬を予定しておりますので、今回は既刊の「男の娘」特集号を出します。
このほか、フリーペーパーを配布します。
次号に関連する記事(おそらく女体化、被造少女について)を載せた内容です。

ではでは、ぜひご来場ください!
[2011/06/11 10:46] 文学フリマ | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) |

女体化と男の娘の狭間で〔さへーのコラム4〕
メディアコンテンツ研究会は女体化に向けて進み出した。

研究会は現在、男の娘と女体化の狭間にいる。

『SUB&MINOR』1で紹介した男の娘キャラの何人かは、想いを遂げて女の子になれることがある。

男の娘四天王の一人、渡良瀬準もその一人だ。

彼は続編「はぴねす!りらっくす」において、魔法の力で女の子になり、念願の女の子になる。

見た目はほとんどかわらないが、肝心なところが変わるのは肝心である。

「男だからいい!」というプロの男の娘愛好者からすれば邪道かもしれない。

だがこうも考えられる。

準にゃんは男の娘ファンも女体化ファンも優しく抱きしめてくれる包容力のある女神である、と。

他にも「Steins;Gate」の漆原るかも男の娘から女体化する。

彼は女体化後もつるぺたぼくっ娘で、凶真さんに男の娘認定されている。

おっぱいの大小で男か女か判断する凶真さんが大変かっこいい。

しかしDメールの力で紛れもなく女になっており、解き放たれた魔力が暴走して俺がやばい。

グラコスはまだか。

今回は上記の二例をあげたが、この他にも男の娘→女体化キャラはいるだろう。

彼・彼女たちは男の娘と女体化の結節点として、我々の心を豊かにしてくれるに違いない。

(文・さへー)
[2011/06/10 00:32] 女体化 | TRACKBACK(0) | COMMENT(1) |

強い!絶対に強い!〔角屋玄造のコラム3〕
ニコニコ動画でフルアニMAXが配信中の黄金バットが熱い。



頭部が黄金のドクロであり、マスコットがコウモリ。
ハハハハハハハハハ!と、凄まじいまでの悪人笑いで大空を飛び回り、悪役以外の何も連想できない素敵な正義の味方である。
とにかく、「飛行能力」「謎の怪力」「チンと良い音のするステッキの破壊属性」以外には 明確な特技が無いために、ストーリー展開上、ピンチの時に黄金バットさんが 登場する必然性が薄く、「最初っからそうしろよ!」というクライマックスも多い。毎回楽しく腹筋崩壊させていただいている。
レトロ作品をやや斜めに楽しむ作法は世間的にはさほどメジャーではないと思っていた。

代々木の某アニメーション学院に通っていた同級生は「スペース西遊記」を「おもしれー」「かっこえー」とガチで楽しんでいたし、「仁義なき戦い」を完全にギャグとして楽しんでいた僕に共感してくれる 人は大学には皆無で あった。
ところが、ニコ動では、見事にこの種のツッコミがニコ廚のみなさんによって入れられており、お前らwwwwww
という感じである。

ツッコミどころの一つに、ジャイアンカラーの服装と髪型の少年、ドコノダレオ君(本名)がいる。
今日的な感覚から見れば「超KY君」という立ち位置であり、ニコ動コメントをみても大多数からはそのように理解されているようだ。
のっそりした話し方で緊迫した場面でも種々よけいな事をして失敗し、年下であろう主人公のタケル少年からもバカにされており、板チョコでつられて口止めをされたりする。
第一話中で秀逸であったのは、緊迫シーンでその板チョコをモソモソ食べながらタケル少年を応援するその勇姿である。アトランティス大陸の遺物、黄金バットの復活に際しては石畳をはがす、石棺の蓋をこじ開けるという怪力を発揮する体力キャラぶりも見せつけた。
この少年、昭和42年の放送当時の感覚から言って、これはおそらく知的障害者という設定であったろう。
今日でこそ、そのような設定を全面に押し出してコミカルなキャラを描写したりしたら大問題である。
そういう平成の常識からしても我々はダレオ君の設定には思いが至りにくい。

ダレオ君は、その投げやり過ぎる名前からして出自のわからない子供であった事が想像される。
明らかにヤマトネ博士や博士の息子のタケル君とは血縁関係になく、ヤマトネ研究所の家事手伝い身分である。これは、現在より遙かに高給取りであった大学教員や研究所所長という、「博士」が、その社会的な地位にみあった社会に対する責任を果たしているという表現である。
しかし、もう一つダレオ君には「福子」という側面もあるだろう。
(「福子」に関しては長くなるので、ぜひ「山田厳子」「福子」でググってみてもらいたい。)
給金が必要でなく、財産分与・結婚による所帯の独立の心配をしてやる必要もない。
言わば部屋住みの身分として労力を提供する社会成員であり、そのような子供が生まれた家には福がもたらされるという存在であった。落語に出てくる「与太郎さん」や、「全員集合」の志村けんがコントで演じる子供など、コミカルで周囲を和ませるイメージも、これに由来している。

「福子」という社会システムが必ずしも全ての障害者をカバーしていたわけではない。

少なくとも現在の福祉制度が昔よりも大勢の障害者の社会生活を支援している事は疑いないが、笑いをふりまく存在から、保護される対象としての転換点において暗いマイナスイメージがついてまわり、差別意識の肥大化によって、なかなか触れにくい存在になってしまったという反面もあるのだ。
元気に活躍するダレオ君、がんばってほしいものである。
(文・角屋玄造)
[2011/06/07 00:19] アニメ | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) |

魔法少女は流れない、それは積み重なる〔さへーのコラム3〕
先週に引き続き魔法少女のお話におつきあい願いたい。

前回ご説明した魔法少女系は、あきらかに日常系に先んじるガール・ミーツ・ガールである。

日常系のように時代を代表することはないが、現在まで非常に息長く、メディアコンテンツを支えている。

そこでまた、疑問を抱く方もいらっしゃるだろう。

最初の日記で述べた「魔法少女まどか・マギカはガール・ミーツ・ガール(特に日常系)の枠組みを破壊する画期的なアニメであった」という主張についてである。

魔法少女系作品が存在・継続している以上、日常系のみにガール・ミーツ・ガールの特権を見いだし、打破を語るのは一面的であろう。

「まどか厨必死すぎわろたwww」のそしりは免れ得まい。

だが、「まどか」は魔法少女系作品としても、ガール・ミーツ・ガールに刺激を与えた作品である。



ここから先は「魔法少女まどか・マギカ」の盛大なネタバレとなるので、注意していただきたい。



「まどか」は題名にもあるとおり、魔法少女系作品を意識して作られたアニメである。

だが魔法少女とは名ばかりで、主人公はOPでしか変身せず、仲間は死に、魔法生物はエイリアンであった。

今まで倒してきた魔女は実は元仲間であるし、あろうことかこの出来事は繰り返し行われ、積み重なってまどかの魔力的素質を支えていたのである。

これほどまでに悲劇的なガール・ミーツ・ガールは、主要な登場人物であるほむらによって何度も出会われていた。

物語の終盤、「魔女の世界」は終わりを告げ、世界は改編されて「魔法少女の世界」ができあがる。

お気づきの通り、この「魔法少女の世界」と仮に名付けた世界こそ、「いわゆる魔法少女系作品」の世界観なのである。

この世界でこそ、夢と希望を司る魔法少女は、愛らしい魔法生物と共に、どこからともなく現れる魔獣を倒すのだ。

「まどか」は魔法少女が不幸にならずに、魔法生物と共生する以前の物語として、魔法少女系作品に厚みを与えるアニメであった。

魔法少女は積み重なったのだ。

しかし、忘れてはならない描写がある。

物語の初期、魔法少女を想像したまどかは、自分が着る衣装を考え、ノートに書いている。

その時まどかが思い描いた魔法少女とは、紛れもなく「いわゆる魔法少女」なのである。

魔法少女系作品の前史であった「まどか」は、そのさらに以前に、確かに魔法少女系作品を想定していたのである。

ここにきて我々は、タイトルの「魔法少女は流れない、それは積み重なる」を否定し、「魔法少女は積み重ならない、それは円環する」ことを宣言しなければならない。

「魔法少女まどか・マギカ」は、日常系を想定させ、それを打ち破る脱日常系ガール・ミーツ・ガール作品であると同時に、魔法少女系を円環させる終わらないガール・ミーツ・ガールであったのだ。

ガール・ミーツ・ガールはやはり、自らその枠組みを破壊したのである。

(文・さへー)



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。